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初老の男が19歳の姫に結婚を迫って強奪!? 豊臣秀頼の妻・千姫に起きた「悲劇」の真相とは

日本史あやしい話30

 

■武士の面目が立たず、カッとして襲撃

 

 実情としては、豊臣家の家臣・大野治長が、千姫を家康の元へ送りとどけたという。それも、逃げ延びさせたというより、「千姫から家康へ、秀頼と淀殿の助命を嘆願させること」が目的だったとか。坂崎は単に、治長から千姫を家康の元に送り届けることをただ託されただけだったようだ。

 

 50歳にもなる坂崎が千姫を娶るために奮闘した云々というのも嘘で、公家に嫁がせようと手はずを整えていたにもかかわらず、自分に相談もなく本多家に嫁いでしまった。これでへそを曲げ、「武士の面目が立たぬ」とばかりに怒り狂ったというのが実情のようである。

 

 ただし、輿入れ時に襲撃しようとしたことは事実らしい。直情的で、カッときたら見境がつかなくなるという、そんな性格が災いしたのだろう。なお、忠刻との結婚も、「千姫が一目惚れしたから」というのは表向きで、忠刻の母・熊姫の願いによるものだったと見る向きもある。千姫の血筋の良さに、目が眩んだというべきか。

 

 ともあれ、忠刻との婚姻は史実で、千姫には化粧料として10万石が与えられた。この莫大な化粧料をもとに、姫路城内に化粧櫓や御殿を建てて、しばし幸せに暮らしたという。

 

■独りよがりな坂崎直盛の「末路」

 

 ちなみに、逸話でも史実としても横暴さが際立った前述の坂崎直盛とは、もともと宇喜多忠家の後継で、宇喜多詮家と名乗っていた。豊臣政権下の五大老の一人として知られた宇喜多秀家の従兄弟で、文禄の役においては総大将となった秀家とともに渡海している。

 

 元キリシタンだったと言われるが、禁教下にありながらも大坂屋敷に堂々と金色に輝く十字架を飾ったというから、かなり軽率な人物だったと言えるかもしれない。関ヶ原の戦いで西軍に属した宇喜多秀家が敗れたことで、戦いの後、詮家は宇喜多姓を捨てて坂崎姓を名乗っている。

 

 この御仁、かなり独りよがりな性格の持ち主のようで、良からぬ逸話が語り継がれている。関ヶ原の戦いから5年後のこと、姉婿に当たる富田信高が、坂崎お気に入りの側女(小姓との説も)と密通した坂崎の甥をかくまったことがあった。

 

 怒り狂った坂崎は、まず側女を殺し、甥を匿った信高を幕府に訴え出て、改易に追い込んだ。それだけでは飽き足らず、甥まで処刑させたとも。一度怒り狂ったら、とことん納得いくまで相手を追い詰めるという、実に執念深い男であった。千姫がどのような思いを抱いていたか? それは、察するしかなさそうである。

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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